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岡山地方裁判所 昭和36年(ヨ)211号 判決 1962年12月26日

申請人 河合泰昌 外一七名

被申請人 玉野電機株式会社

主文

一、被申請人は申請人らをいずれも被申請人の従業員として取扱うこと。

二、被申請人は、申請人河合に対し金二〇万三、〇〇〇円、同斎藤に対し金二〇万六、五〇〇円、同小幡に対し金一〇万〇、八二〇円、同高橋に対し金五万八、五〇〇円、同福田に対し金一六万一、〇〇〇円、同朽木に対し金五万五、八〇〇円、同大山に対し金一七万五、〇〇〇円、同土井に対し金六万三、九〇〇円、同真鍋に対し金一八万三、七一九円、同木村に対し金一九万二、五〇〇円、同岡田に対し金二〇万三、〇〇〇円、同長畠に対し金七万〇、二〇〇円、同三道に対し金一七万八、四二四円、同井上に対し金四万五、〇〇〇円ならびに昭和三八年一月五日から毎月五日限り、申請人河合に対し金一万七、四〇〇円、同斎藤に対し金一万七、七〇〇円、同小幡に対し金二万一、三〇〇円、同高橋に対し金一万九、五〇〇円、同福田に対し金一万三、八〇〇円、同朽木に対し金一万八、六〇〇円、同景守に対し金二万一、〇〇〇円、同大山に対し金一万五、〇〇〇円、杉本に対し金一万三、五〇〇円、同池本に対し金二万〇、七〇〇円、同土井に対し金二万一、三〇〇円、同真鍋に対し金一万九、五〇〇円、同木村に対し金一万六、五〇〇円、同岡田に対し金一万七、四〇〇円、同長畠に対し金二万三、四〇〇円、同三道に対し金一万八、三〇〇円、同井上に対し金一万五、〇〇〇円、同内田に対し金一万七、四〇〇円をそれぞれ支払え。

三、申請人らのその余の仮処分申請をいずれも却下する。

四、申請費用は全部被申請人の負担とする。

(注、無保証)

事実

第一当事者双方の求める裁判

一  申請人ら代理人は、

(一)  被申請人が、昭和三六年一一月一一日別紙目録(一)記載の申請人一一名に対し、同月一三日同目録(二)記載の申請人七名に対して、それぞれなした解雇の意思表示の効力を仮に停止する。

(二)  被申請人は申請人らに対し、それぞれ同目録(一)(二)記載の各金員を、昭和三七年一月五日から毎月五日限り仮に支払え。

との裁判を求めた。

二  被申請人代理人は、

(一)  申請人らの申請を却下する。

(二)  申請費用は申請人らの負担とする。

との裁判を求めた。

第二申請の理由

申請人ら代理人は、申請の理由として、次のとおり述べた。

一  申請人らと被申請人との関係

(1)  被申請人会社(以下会社ともいう。)は、玉野市所在の三井造船株式会社玉野造船所(以下三井造船という。)の下請工場であり、同市藤井に本社工場(以下藤井工場という。)を、また三井造船構内に分工場(以下分工場という。)を有し、藤井工場において、昭和三六年八月末現在従業員約一三〇名を使用して、現に電気機器の製造等を、分工場において、同月末現在従業員約七〇名を使用して、現に舶用電機器具の修理等を業としているものである。

(2)  申請人らは、いずれも会社の従業員であつて、昭和三六年九月五日結成された玉野電機労働組合(以下第一組合という。)の組合員であり、申請人河合は、当初同組合の執行副委員長、同年一一月一七日ごろから執行委員長、同真鍋は、当初から執行副委員長、同木村は、当初執行委員、同年一〇月二七日ごろから書記長、同岡田、同斎藤、同小幡、同高橋は、いずれも当初から執行委員としての地位をそれぞれ有するものである。

二  解雇の通告とその無効

会社は、昭和三六年一一月一一日別紙目録(一)記載の申請人一一名に対して、同月一三日同目録(二)記載の申請人七名に対して、それぞれ同年一二月一五日限り解雇する旨の意思表示をした(以下本件解雇という。)

しかし、右解雇は次の理由により無効である。

(一)  本件解雇は、労働組合法第七条第一号、第三号に該当する不当労働行為として、無効である。すなわち、その詳細は次のとおりである。

1 事実関係

(1) 昭和三六年度の夏期一時金の支払遅延をめぐり、会社の従業員約一二〇名のうちに、にわかに労働組合結成の気運が醸成されたが、特に、申請人高橋、同小幡らは、卒先して会社との直接の交渉にあたつたため、会社代表者らから嫌悪されていた。

(2) 同年九月四日、会社は、突如従来の慣例を破り、事前に何らの交渉、打診もなく、一方的に企業整備を理由とする従業員一三名の即時解雇を発表した。右一三名は、いずれも平素労働条件について会社との交渉を担当したり、あるいは、従業員の団結について指導的立場にあつた者で、申請人小幡、同高橋、同池本、同大山の四名ならびに申請外口羽(第一組合結成当時の書記長)ほか八名であつた。

(3) 翌九月五日、従業員中、班長ら役職員約二〇名と一部の従業員を除く合計一七二名は、第一組合を結成して、玉野一般合同労組玉野電機支部と称し、右組合は後日玉野電機労働組合と改称されたが、その執行委員長に申請外戸川、副委員長に申請人真鍋、同河合、書記長に前記口羽、執行委員に申請人斎藤、同木村、同岡田、同小幡、同高橋ら五名のほか、申請外風穴ほか九名が選任せられ、ここに組合運動の第一歩を踏み出し、ただちに会社に対し前記一三名に対する解雇について抗議した。その結果、藤井工場の監督者である副社長藤原二郎丸は、一たんこれを撤回した。

(4) 同月七日、藤井工場は、会社の事業内容からして何らその必要がないのに、いわゆる保安要員に該当するものとして、非組合員九名を任命した。なお、会社の職制は主任(約一〇名)、組長(約一〇名)、組員と階層的に構成されているところ、右九名中には、主任など五名が含まれていた。

(5) 同月一二日、会社は、藤井工場の従業員全員および分工場の申請人井上ほか一名に対して、臨時休業を指示し、その理由として、第一組合が、組合結成後の団体交渉等において、上部団体の指導を受けていたことを暗に憎悪曲解し、会社の労使関係が従業員でない者の攪乱にあい、その秩序をみだしている旨の見解を発表した。

(6) 同月一五日、会社は、分工場の従業員一四名に対して臨時休業を指示した。右一四名中には、いずれも組合運動の指導的立場にあつた第一組合の執行委員四名(申請人小幡、同高橋を含む。)が含まれていた。

なお、分工場は、その後残存従業員に対して連日のように時間外労働を行なわせており、作業を急がせているのであるから、右休業指示は、事業の閑散を理由とするものではなかつたのである。

(7) 同月二三日、前記保安要員九名を含む非組合員二三名は、同名の玉野電機労働組合(以下第二組合という。)を結成し、その書記長に保安要員の林組長を選任したほか、各要職にも保安要員を選任した。

(8) その後、第二組合から第一組合に対し、急速に、各種手段をつくしてのいわゆる切崩しが策されたため、両組合の人数は、数日ならずして、それぞれ約一〇〇名に均衡するに至つた。

(9) その間、第一組合は会社に対し、臨時休業の打切りを求めて十数次の団体交渉をしたが、第二組合は、同年九月二六日会社が両組合に対して示した生産再開に関する協定案を、ただちに承諾した。しかし、右協定案は、組合運動を著しく制圧する条項を含んでいたため、第一組合は、その不当部分の変更を求めて、団体交渉を続けていたものである。

(10) 会社は、前記協定案を承諾した第二組合員中、臨時休業中の者に対して逐次就労を命じ、同年一〇月二日には、第二組合員に関する限り、ほとんど就労するに至つた。しかるに、第一組合員に対しては、会社は、藤井工場勤務の者は勿論、分工場に勤務し同年九月一五日休業を命ぜられた者のうち第一組合を離れなかつた者に対して、依然休業を継続し、事実上就労を拒否する状態をくり返した。

(11) 同年一〇月五日、会社は、臨時休業中の第一組合員中、藤井工場の比較的温和で組合役員でない者一〇名に対して、就労を命じた。

(12) 同月一一日、会社は、第一組合員中、藤井工場の三名を就労させた。

(13) 同月一六日、会社は、第二組合員中、藤井工場の女子工員七名に対して臨時休業を指示した。しかし、これは、第一組合に対する圧制を擬装するためのものであり、その後間もなく全員が再就労している。なおこれは、第二組合員に対する休業指示として、唯一のものであつた。

(14) 同月二〇日、会社は、同月五日就労を命じた第一組合員一〇名および同月一一日就労を命じた同組合員三名の中から、同月二〇日までに第二組合に加入しなかつた者六名と、別に、第一組合員で従来分工場勤務のため休業の指示を受けていなかつた者四名の合計一〇名に対し、再度の休業を指示した。これは、当時、第二組合から会社に対し、第一組合の圧縮方を申入れ、会社が右申入に応じてなした処置である。

(15) 第一組合は、以上のような会社の第二組合との差別的取扱について、さらに、数次の団体交渉を行ない、交替制による休業制度や、時間外勤務の作業分量に対して第一組合員を代置就労させるよう、しばしば抗議したが、副社長は、同月二三日の団体交渉で、第二組合を優遇し、第一組合と差別するのもやむを得ないと言明し、最後まで第一組合員に対する休業を中止しなかつた。

また、この間、会社は、その顧問、知己、第二組合役員をして、第一組合員宅を訪問させて、第二組合の加入または退職を勧告し、あるいは、両組合が同一の名称であることに云いがかりをつけて団体交渉を拒否するなど、差別待遇の例は枚挙にいとまがなく、そのため第一組合員の人数は逐次減少し、同年一一月中旬には、二五名になつた。

(16) しかして、会社は、前記申請人らの解雇におよんだのであるが、同年一一月一一日および一三日の両日にわたり、当時残存していた申請人らを含む第一組合員二四名全員を、第二組合員五名(うち三名は雑役夫)とともに解雇したものである。

2 無効原因

以上の事実で明らかなとおり、本件解雇は、申請人らが第一組合に加入し、第一組合員であることを理由として行なわれたものである。

第一組合員の解雇率は、組合員数の一〇〇%であるのに対し、第二組合員の解雇率は、わずかに組合員数の三%にすぎない。

すなわち、会社は、第一組合を嫌悪し、第一組合員全員を会社から排除し、好意をもつ第二組合を側面から牽制援助しようとしたものにほかならない。

会社は、当初保安要員として会社側から任命された者を中心として、第二組合を結成せしめ、これを盛りたてるため、機会をとらえて第一組合員の就労の機会を奪い、その都度第二組合への加入または退職を強制し、最後まで第一組合を離れなかつた者を解雇したのである。

(二)  本件解雇は、就業規則に違反し、かつ、同年九月二六日以降会社が自ら示した解雇基準をも逸脱したものであるから、解雇権のらん用として、無効である。

1 就業規則四四条によれば、解雇事由は制限的に列挙せられいずれも、協議約款を付したうえ、次のとおり示されている。

(1) 従業員の重大なる責により従業員代表と協議の上解雇の判定を受けたとき

(2) 業務上の都合により予め従業員と協定したとき

(3) 停年に達したとき

(4) その他必要な場合、従業員と協定したとき

また、右解雇基準によれば、次のとおり示されている。

(1) 就業規則の懲戒解雇事由に該当する者

(2) 労働能率の劣悪な者

(3) 出勤状態の劣悪な者

(4) その他

2 しかるに、本件解雇については、会社から何ら合理的な理由は明示されず、申請人らにとつて、その該当根拠は全く存しないものである。

三  保全の必要

(一)  よつて、申請人らは、いずれも会社の従業員としての地位を有するところ、従来一箇月別紙目録(一)(二)記載の給料の支払をそれぞれ毎月五日限り受けていたものであるが、会社は、本件解雇以降申請人らを従業員として取扱わず、給料を支払わない。

(二)  申請人らは、会社を相手どり解雇無効確認の本案訴訟を提起すべく準備中であるが、いずれも会社から支払われる給料のみで生計を維持している者であり、本案判決を待つていては、収入の杜絶がもたらす回復しがたい不測の事態が発生する虞がある。よつて、申請の趣旨記載のとおりの裁判を求めるため、本件仮処分命令申請におよんだものである。

第三被申請人の答弁および主張

被申請人代理人は、右申請の理由に対する答弁および主張として、次のとおり述べた。

一  事実の認否および反駁

(一)  「申請人らと被申請人との関係」の項について

(1)のうち、昭和三六年八月末現在における藤井工場の従業員数は約一五〇名、分工場の従業員数は約九五名であるがその余は認める。

(2)のうち、申請人らの組合における地位等は知らない。その余は認める。

(二)  「解雇の通告とその無効」の項について

会社が、申請人ら主張の各日時に、申請人らを解雇したことは認めるが、右解雇が無効であるとの申請人らの主張は全部争う。

1 事実関係について

(1)は否認する。

(2)のうち、会社が昭和三六年九月四日従業員一三名の即時解雇を発表したこと、右一三名が申請人四名を含むその他の者であることは認めるが、その余は否認する。

右解雇は、受注減少による企業整備(当初、同年一〇月ごろに予定されていた三井造船千葉工場の操業が、翌年三月末以降に変更されたため、余剰人員の右千葉工場への派遣が実現しなかつた事情もある。)のためなしたものであつて、会社は、過去にも数回にわたり約一〇名ないし六〇名の解雇をしたことがあり、前記解雇に際しても、副社長から被解雇者に対し、その理由を説明し、再雇用の用意ある旨を付言している。すなわち、会社は従来も解雇の場合、約三箇月ないし五箇月の期間内に、被解雇者の約七〇%(残りの者は、他の有利な条件の職場に就職してしまうことが多い。)を再雇用しており、雇用の際にも、仕事の繁閑によりこのような解雇のあることを従業員に説明し、その了解を得ていたものである。

(3)のうち、組合の役員等については知らない。副社長が解雇を撤回したことは否認する。その余は認める。

同月五日朝、多数部外者の応援のもとに、一部従業員が中心となり、出勤してきた従業員を藤井工場正門前に迎えて、強硬に組合加入者を求め、ほとんど全員をして職業を拒否せしめて、ただちに、正門前広場で組合大会を開き結成されたのが第一組合である。そして、団体交渉と称して、従業員および部外者約七〇名が事務室へ、約三〇〇名が同室前広場に乱入し、同日午前一〇時ごろから、副社長一人を包囲して解雇の撤回を強要したため、副社長は、やむを得ずこれを一時保留することにしたのである。当時、会社では、三井造船で修理中の英国船マリンナビゲーター号の発電機等を同日中に搬出、積込む予定になつており、もしこれが間に合わないと同船の出航が遅れて、三井造船として莫大な損害が予想されていたが、第一組合は、右事情に乗じて解雇を撤回しない限り前記発電機等の搬出をさせないと称し、三井造船の担当課長らが引取りに来たのに対してこれに応じない旨を言明し、長椅子を積み重ねるなどして正門を閉塞し、その積出を妨害した。そのため、副社長は、このような緊急品の積出が遅れることを恐れて、前記のように、解雇を一時保留する旨を述べ、ようやく包囲を解いたものである。

(4)のうち、同月七日会社が保安要員九名を任命したことは認める。

右任命の経緯は次のとおりである。

前記のように、藤井工場は、同月五日午後九時過ぎごろまで、全く無秩序、混乱の状態が続き、従業員、部外者数百名により占拠されていたが、その間、工場内で酒を飲む者、随時随所で喫煙する者などがおり、翌六日になつても、約三〇%の従業員が就労するのみで、一部従業員は、自由に工場内外に出入りするなどの行動があり、また、部外者の出入りもあつたため、会社としては、工場内に高圧電線等危険物もあり、また、火気等による火災の危険などを憂慮して、特に、これらの危害ならびに火災予防の必要上保安要員を任命したものである。

(5)のうち、会社が同月一二日申請人ら主張の従業員に対して臨時休業を指示したことは認めるが、その余は争う。

右休業指示の理由は、次のとおりである。

三井造船は、前記のように藤井工場の作業秩序が著しく乱れていたため、到底発注作業を継続させることはできないものと判断し、会社に対し受注作業の全部について契約を解除し、同月八日から一〇日までの三日間にわたり、会社から三井造船関係の資材、製品、仕掛品全部を取戻してしまつた。そのため、同月一一日からは、藤井工場において、作業皆無の状態になつた。また、分工場の二名については、右両名は、同年八月初めごろから、会社での設計の仕事がなかつたため、三井造船において設計見習中であつた。

したがつて、会社としては、やむを得ず臨時休業を指示したものである。

会社は、右休業の直接の原因となつた紛争、特に、受注品持出妨害などの行為が、下請作業の緊急、重要なことを認識しない外部極左的団体の指導によりなされたものであることおよびこのような状態が続くと会社の再開は全く困難であることを述べ、従業員の自省を要望したことはあるが、これは会社として当然のことであつて、この点に関する申請人らの主張は理由がない。

(6)のうち、同月一五日会社が分工場の従業員一四名に対し臨時休業を指示したことは認めるが、その余は否認する。

右休業指示は、修繕船の仕事が減少したという作業上の理由によるものである。なお、造船所の工程上とか、緊急を要する修繕船の入渠したような場合、特定の職場において残業することがあり、当時いくらかの者が残業していたことはあるが、これは作業の特殊性から起こることにすぎない。

(7)は認める。

(8)は知らない。

(9)は、生産再開に関する協定案を非難する点を除き、その余を認める。

会社が右協定案を提示するに至つた経緯は、次のとおりである。

会社は、休業指示の後、ただちに第一組合と団体交渉をする一方、三井造船に対して発注方の懇請をしていたが、同月二一日三井造船電機部に対して会社、第一組合連名のうえ「御願書」を提出したものの、なお生産再開について、今後得意先への迷惑をかけないよう具体的保障を示して懇請する緊急の必要があつたので、両組合ともはかり、会社において、前記協定案を作成して、両組合に提示したものである。これに対し、第一組合は、三井造船に対して右協定案を提示し、かつ、発注を求めて生産再開をはかることが急務であることを充分知つており、また、その内容についても、後日労働協約により適当に検討、是正し得たにもかかわらず、二、三の点を曲解して、これに応じなかつたものである。

(10)ないし(14)について

会社が両組合を差別したかのように主張する部分および(14)の会社が第二組合の申入に応じてなした処置であるという部分は否認する。その余は概ね認める。

会社は三井造船に対し、生産再開に関する協定書を提示して発注方を懇請した結果、とりあえずごく短期間のものを徐徐に受注し得るようになつたが、いまだ従業員全部を同時に就労させるまでに至らなかつた。そのため、就業状況についても区々にならざるを得なかつたのである。もつとも、第一組合員の中には臨時休業中会社外で就労するものが多く、出勤指示をしてもただちに出勤し得ないことがあり、仕事に差支えを生ずることもあつたので、会社は、このような者に対しては、その後の就労について考慮せざるを得なかつた。

(15)のうち、第一組合から申請人ら主張のような抗議があつたことは認めるが、その余は争う。

第一組合の要求するような交替制による休業制度や時間外勤務の代置就労などは、技術上極めて困難なものが多く、これを強行すれば、著しく工程が遅延することは免れない。副社長は、このようなことから、団体交渉において、就労する者と臨時休業になつている者との間に現実に差別の生ずることはやむを得ない旨を言明したものにすぎない。また、第一組合の名称に云いがかりをつけたというのは、当時、第一組合は、玉野一般合同労組玉野電機支部という名称であつたが、突如第二組合と同一の玉野電機労働組合なる名称を用いて、会社に対し生産再開に関する協定案に対する回答文を提出したので、会社は、一応その疑点をただす意味で、右回答文を返戻したものであり、他意はない。

(16)は認める。

2 無効原因について

申請人らの主張は、全面的にこれを争う。

(三)  「保全の必要」の項について

1 申請人らが、臨時休業中の賃金として、毎月一〇〇%の賃金を求めるのは、失当である。

2 会社における毎月の稼働日数は、大体二五日位であるのに、申請人らが毎月三〇日分の日給額の支払を求めるのは、失当である。残業手当は現実になされた時間外労働について、その時間数に応じて支払われるものであり、それは各職場ないし従業員により異なり全く未定のものである。

3 その他後記四のとおり争う。

二  本件解雇の正当性

会社が申請人らを解雇したのは、次の理由と手続によるものであるから、申請人ら主張のような違法はない。

(一)  人員整理の必要

会社は、その仕事量の九八%を三井造船の下請発注に依存しており、自主生産の全くない業態である。昭和三六年に入り、三井造船の受注量は月を追つて漸減し、特に、三井造船電機部においては、ウインチ関係受注の激減によりその受注量に莫大な影響を受け、ひいては、会社における売上額も、昭和三五年度において、一箇月約二、〇〇〇万円であつたものが、昭和三六年度においては、一箇月約八〇〇万円に減じ、その生産量は約二分の一に減じた。下請企業は一に親会社の況不況にその運命を委ねられていることはその宿命であり、親会社の発注によつて下請会社の生産は決定されるのであるから、いわば、その存続について死命を制せられているといつても過言でない。会社としても、従来他の下請企業と同じように、況不況の波に応じて、あるいは企業を縮少整備し、あるいは人員を整理するなどして、それぞれの事態に対処してきたのである。会社は、前記受注減少に加えるに、昭和三六年九月以降の労使間の紛争により三井造船の信用を失い、受注はますます困難となり、この窮状打開のため、企業再建の方策を考えざるを得なくなり、ここに人員整理の必要に迫られたものである。

(二)  人員整理についての第一組合との交渉経緯

会社の就業規則四四条には、申請人ら主張どおりの条項がある。しかし、ここにいわゆる協議約款というのは、従業員代表との協議をいうのであり、右従業員代表は楠義夫である。ところが、本件解雇予告当時すでに労働組合が存在していたので、仮に右規則四四条二号の従業員とあるのを労働組合と考えるとしても、当時第二組合が過半数を占めていたのであるから、会社は同組合と協議すればたりる。いずれにしろ、会社は第一組合に対しても本件人員整理について、その理由と必要を再三にわたり説明し、協議を求めた。その経緯は、次のとおりである。

1 昭和三六年一〇月一七日および二〇日、会社は第一組合に対し、受注難のため約七〇名ないし八〇名の人員整理を含む企業再建整備を考えざるを得ない旨を説明し、協議を求めた。

2 同月二三日、会社は第一組合に対し、「企業再建整備に伴う人員整理案」を提示し、これにもとずき詳細その計画を説明し、協議を求めるとともに、申出期限を同月二八日とする第一次希望退職募集を行なつた。

3 その後、会社は、引続き第二次、第三次の希望退職募集を行なつたが、なお所定人数に達しなかつたため、やむを得ず同年一一月六日第一組合に対して後記指名解雇基準を提示してその協議を求め、同月八日および九日の両日にわたり団体交渉を開いたが、第一組合は、指名解雇基準等については協議を拒否して、これに応じなかつた。

4 そこで、会社としては、第一組合がその協議権を放棄したものと認めるのほかなく、同組合に対して会社案で実施する旨言明して交渉を打切らざるを得なかつた。

会社の指名解雇基準は、次のとおりである(申請人ら主張の解雇基準は、前記生産再開に関する協定案に示された内容であつて、本件人員整理について、会社が組合に対して提示し協議を求めた解雇基準とは異なる。)。

(1) 長期欠勤者

(2) 出勤常ならざる者

(3) 労働能率の悪い者

(4) 労働年数の短い者ならびに高令者

(5) 正当な理由なく無届欠勤五日以上の者

(6) 他人の服務に対し妨害を与えた者

(7) 社の信用を傷け、または体面を汚す行為のあつた者

(8) 在籍のまま他に雇用され、あるいは許可なく私に事業を営み、他の会社、商店に兼務した者

(9) 事業再建に対する非協力者ならびに非協力を煽動した者

(10) お得意に対し協力的でない者

(11) その他

なお、本件解雇は、企業の再建計画に基く人員整理であり、その趣旨は、右計画の実施による余剰人員の整理である。右計画によると、各工場、各職場の整理統合ならびに各職場における所定人員が概ね予定されているが、その計画により余剰人員を生じたり、廃絶せられた職場の従業員は、特段の事情のない限り整理の対象となるのは当然であり、会社は、各職場の人員構成等を考慮し、右指名解雇基準に基いて、申請人らを含む二九名を解雇したものである。

(三)  申請人らに対する指名解雇の理由

別紙指名解雇理由記載のとおりである。

三  解雇の承認

(一)  申請人大山は、昭和三七年五月一四日会社が本件解雇当時供託していた退職金一万一、七五〇円を、同高橋は、同年一〇月一一日同退職金一万二、一三〇円を、同岡田は、同月二二日同退職金一万四、七六〇円を、それぞれ任意に受領した。

(二)  よつて、右申請人三名は各自の解雇を承認したものであり、本件仮処分申請を維持すべき理由がない。

四  保全の必要の不存在

(一)1  申請人土井、同高橋、同景守、同内田、同長畠、同朽木、同池本、同杉本は、昭和三六年一〇月二〇日ごろから、同真鍋、同三道は、昭和三七年一月一〇日ごろから、いずれも大阪市所在の東亜外業株式会社に勤務し、別紙賃金表記載の賃金を得ている。

2  申請人小幡、同井上は、昭和三六年一〇月ごろから同市所在の大光電気工事株式会社に勤務し、同表記載の賃金を得ている。

3  申請人福田は、本件解雇前から会社外で勤務していたが、昭和三七年三月五日から玉野市所在の玉野樹脂工業所に勤務し、日給六五〇円を得ている。

4  申請人岡田は、同年三月ごろから大阪市方面で勤務し、賃金を得ている。

5  申請人大山は、同年四月ごろから玉野市所在の大平印刷株式会社に勤務し、賃金を得ている。

6  申請人斎藤は、同年七月ごろから同市所在の玉野市生活企業組合に勤務し、賃金を得ている。

7  申請人河合、同木村は、本件仮処分申請事件ならびに地方労働委員会に対する救済申立事件に専従的立場で従事しており、前記就労している申請人から一定額の組合費を徴収して費用等に充てており、その額は毎月三万円以上になる。

(二)  以上のとおり、申請人らは、他に就職して会社における賃金を上回る収入を得ており、その勤務も通常の雇用関係と異なるところがないか、または、組合費の徴収により費用等に充てているものであるから、保全の必要性は全く存しないものである。

第四被申請人の主張に対する申請人らの答弁および反駁

申請人ら代理人は、被申請人の前記主張に対し次のとおり述べた。

一  「本件解雇の正当性」の項について被申請人の主張は、全面的にこれを争う。

(一)  三井造船傘下の下請企業は、数十に達するが、昭和三六年九月ごろから現在に至るまで受注減少等を理由として企業整備、人員整理を行なつた企業は他に見当たらず、いずれも盛業を極めているにもかかわらず、会社のみ企業整備を理由とする退職勧告を続け、人員整理を断行したことは、単なる組合運動の撲滅を企図しているものとしか考えられず、現に会社では従業員全員を就労させ、賃金全額を支払つている。また、昭和三六年六月ごろ以後、会社が数十名の求人募集と新学卒者の採用をもくろんでいたことも明白である。

(二)  指名解雇基準等についての被申請人の主張は、次のとおり失当である。

1 本件解雇は、予め会社から申請人らに対し、個別的説得、打診がなく、一方的に通告されたものである。

2 会社が申請人らに対する指名解雇理由として挙示する事実は、いずれも極めて抽象的であるか、または、各自がかつて他人から指摘されたこともない事柄であつたり、もしくは、同僚、上下間の人間関係の相対性に起因する問題であつて、当事者の一方のみの責に帰し得ない事柄を、申請人らのみを非難しているもので、到底正鵠を射たものとはいい難い。解雇された第一組合員の中には、会社が経営上寄与性の優るものとして扱つて来た職制上の役付六名(班長五名、組長一名)、多額の養成費用を投じて社内訓練により育てあげた中堅の養成工出身者六名などが含まれているのであつて、解雇されなかつた従業員との比較が、余りにも均衡を失している(前記両組合員の解雇率参照)

3 会社は、申請人らが指名解雇基準各号のいずれに該当するものであるかを明示していない。

4 本件解雇にあたり、会社が、指名解雇理由について、公正な調査、検討をした痕跡は全くない。

5 要するに、会社の申請人らに対する指名解雇理由は、本件仮処分申請後考えついたものにすぎない。

二  「解雇の承認」の項について

申請人大山、同高橋、同岡田が、被申請人主張のとおり各退職金を受領したことは認める。しかし、右申請人らは、いずれも一時の窮迫のため後日労働関係確定の際に清算することを留保して受領したものにすぎないのであり、これをもつて解雇を承認したものではない。

三 「保全の必要の不存在」の項について

申請人らの一部は、会社外で就労して賃金を得ている。しかし、これは一時の生活を支えるためやむを得ずなしているのであり、副業的、不安定ないわゆるアルバイト程度にすぎなく、申請人らは何時でも会社に復帰し得る状態にある。

また、申請人河合、同木村は、毎月一定額の組合費を徴収している。しかし、これを本件仮処分申請事件ならびに地方労働委員会に対する救済申立事件の諸費用に充てているのであり、右申請人らの私費には使用していないものである。

第五疎明関係<省略>

理由

第一当事者間の関係および解雇の通告

会社は、玉野市所在の三井造船の下請工場であり、藤井工場において昭和三六年八月末現在従業員約一三〇名(または約一五〇名)を使用して現に電気機器の製造等を、分工場において同月末現在従業員約七〇名(または約九五名)を使用して現に舶用電機器具の修理等を業としているものであること、申請人らはいずれも後記解雇の意思表示を受けた当時会社の従業員であり、第一組合の組合員であつたこと、会社が昭和三六年一一月一一日別紙目録(一)記載の申請人一一名に対しならびに同月一三日同目録(二)記載の申請人七名に対して、それぞれ同年一二月一五日限り解雇する旨の意思表示をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

第二不当労働行為の成否

申請人らは、本件解雇は不当労働行為として無効であると主張するので、以下この点について判断する。

一  差別待遇を推測させる事実

(一)  両組合結成までの経緯

次の事実は、いずれも当事者間に争いがない。

昭和三五年九月四日会社は従業員一三名の即時解雇を発表したところ、翌五日従業員の多数をもつて第一組合が結成され、ただちに会社に対し右解雇につき抗議がなされた。会社は同月一二日藤井工場の従業員全員および分工場の従業員二名に対し、また同月一五日分工場の従業員一四名に対して、それぞれ臨時休業を指示した。そこで、第一組合は会社に対し右臨時休業の打切りを求めて団体交渉をしていたが、同月二三日第一組合に加入していなかつた従業員二三名により第二組合が結成された。

(二)  第二組合結成後の状態

(1) 第二組合は同月二六日会社が示した生産再開に関する協定案をただちに承諾したが、第一組合は右協定案の内容を不満として、これを承諾しなかつた。会社は右協定案を承諾した第二組合員中前記臨時休業中の者に対して逐次就労を命じ、同年一〇月二日には第二組合員に関する限りほとんど就労するに至つた(申請人本人斎藤満良の供述およびこれにより成立が認められる疎甲第一〇号証によれば、当時の第二組合員数は約八〇名ないし一〇〇名であつたことが疎明せられる。)。しかるに、第一組合員中臨時休業中の者に対しては、会社は依然として休業を継続していた。ただ会社は第一組合員に対しても同月五日藤井工場の従業員一〇名および同月一一日同工場の従業員三名に対して就労を命じたことがあるが、これも同月二〇日右一三名中同日までに第二組合に加入しなかつた者六名に対して再度の休業を指示し、さらに同日第一組合員で従来分工場勤務のため休業の指示を受けていなかつた者四名に対して新たに臨時休業を指示した。その間、第二組合員に対する休業指示は、同月一六日藤井工場の女子工員七名に対してなした一例のみであり、その後間もなく再就労している。

(2) 第一組合は数次の団体交渉を行ない会社に対し、交替制による休業制度や時間外勤務の作業分量に対して第一組合員を代置就労させるよう、しばしば抗議したが、会社との間に折合がつかず意見が対立していた。

そうして、同年一一月一一日および同月一三日の両日にわたり、当時残存していた申請人らを含む第一組合員二四名全員が、第二組合員五名(うち三名は雑役夫)とともに解雇されたものである。

(以上(1)(2)の事実もすべて当事者間に争いがない。被申請人は、右(1)(2)の事実について、会社が両組合をその就労の点で差別したものでない旨の答弁および主張をしているがこれにそう証人藤原二郎丸の供述は信用できず、また成立に争いない疎乙第一〇号証の一ないし四および証人垣内弘の供述によれば、第一組合員中会社からの就労指示に応じなかつた者が数名いたことが疎明せられるが、しかし、いずれも成立に争いない疎甲第一一号証、同第一三号証および申請人本人岡田捷弘、同河合泰昌の各供述によれば、当時第一組合員に対する就労指示は、第一組合および各組合員宛の双方に対して通知することになつていたのに、会社が第一組合に通知しなかつたため、右の者らに連絡できなかつたことが疎明せられるので、これも被申請人主張のような合理的な差別の理由とはなし難い。)

(三)  以上の事実に前記解雇における両組合員の解雇率、すなわち、会社は当時の従業員約一七五名(証人津尾藤吉の供述により成立の認められる疎乙第一七号証中売上および人員賃金支払表により疎明せられる。)のうち二九名を解雇したのであるが、被解雇者中第一組合員は申請人らを含む二四名全員であつて、第一組合員の解雇率は組合員数の一〇〇%であるのに対し、第二組合員はわずかに五名にすぎず、右解雇当時の第二組合員数は申請人本人斎藤満良の供述および弁論の全趣旨から少なくとも一〇〇名以上であつたことが推認せられるので、第二組合員の解雇率は組合員数の五%以下にすぎないこと、しかも証人藤原二郎丸および申請人本人河合泰昌の各供述により疎明せられる右五名中三名が女子工員であることとを照らし合わせると、申請人ら主張の他の事実の存否等について判断するまでもなく、本件解雇は申請人らが第一組合員であることを理由とするものであることが、一応推認される。

二  解雇の正当性の有無

これに対し、被申請人は本件解雇は受注減少等のため企業の再建計画に基く人員整理であり、申請人らはいずれも被申請人主張の指名解雇基準にそれぞれ該当するものであつて、その具体的理由は別紙指名解雇理由記載のとおりである旨を主張するので、この点を判断して前記推認が覆えるか否かを検討する。

(一)  人員整理の必要性

成立に争いない疎乙第一三号証の一、二、同三二号証、前記疎乙第一七号証、証人垣内弘の供述により成立の認められる同第一八号証、証人藤原二郎丸の供述により成立の認められる同第二一、二二号証ならびに証人岡野嘉允、同戸田宏、同山下英彦、同垣内弘、同船場光政、同津尾藤吉、同藤原二郎丸および申請人本人岡田捷弘の各供述によれば、次の事実が疎明せられる。

(1) 会社はその仕事量の約九八%を三井造船の下請発注に依存しているが、三井造船において従来の電動ウインチに変り油圧ウインチが使用される傾向にあり、そのため三井造船電機部の作業量が減少するとともに、その発注により藤井工場の作業量の約七五%を占めるウインチ関係の受注がなくなり、その生産にかなりの影響を受けることとなつた。したがつて、会社における収入額も昭和三五年度において一箇月約一、九六三万円であつたものが、昭和三六年度においては一箇月約一、二〇九万円に減少している。また三井造船からの取下金も約半額に減少しており、将来の見通しも明るくなかつた。

(2) 会社は従来作業量の繁閑の差に応じて人員整理をなしてきたが、このたびは昭和三六年一〇月一七日ごろから同年一一月九日までの間数回にわたり両組合に対し約七〇名ないし八〇名の人員整理の必要を説明してその協議を求め、その間希望退職募集を行なつてきた。しかし同年一一月六日までに約三七、八名の応募があつたのみで所定人数に達しなかつたので、同月八日両組合に対し前記指名解雇基準(疎乙第二二号証)を読み上げて協議を求めたが、両組合ともこれに応じなかつた。そこで会社は翌九日団体交渉を打切つて本件解雇に至つた。

証人同前峰雄の供述により成立の認められる疎甲第一九号証の一、二および成立に争いない同第二五号証により疎明せられる三井造船下請企業の失業保険受給資格認定の受付数等も疎乙第七号証に照らしてただちに右認定を覆すことはできず、その他右認定を覆すにたりる疎明はない。

しかし、一方原本の存在および成立に争いない疎甲第二〇号証の一ないし四、証人同前峰雄の供述により成立を認められる同号証の五、六および証人藤原二郎丸の供述により疏明される会社が昭和三七年中学卒業者三〇名の求人案内をなし、昭和三六年六月二九日職業安定所に対し六二名の求人募集をしていたこと、(もつとも右求人募集につき会社は同年九月八日ごろ口頭で、同月二五日文書でこれを取消したことが前掲証拠により疎明せられるが、右取消の理由について、三井造船千葉工場の操業予定が延期されたため求人の必要がなくなつたのであるという右藤原証人の供述を信用するとしても、一方では会社が受注減少による人員過剰を主張し、同証人の供述によれば、すでに同年七月ごろから人員整理の話が出ていたというのに、右取消をしたのは前記同年九月四日の従業員一三名の解雇発表後であつた点、いかにも不可解である。)同年八月末現在の会社の従業員数は被申請人主張によれば約二四五名であるところ、その後前記のとおり希望退職者があつたりして、本件解雇当時の会社の従業員数は約一七五名になつたのであるから、すでに二箇月余りの間に従業員数の約三分の一近い七〇名も減少していること、証人藤原二郎丸および被申請人代表者藤原重信の各供述により疎明される会社は現に一部従業員に対して臨時休業を指示しているけれども、また将来における事業の見通しも期待できないとはいいながら、その後残存従業員を解雇することもなく操業していること等の事情がある。

右双方に掲げた事情を彼此考察するとき被申請人主張の人員整理の必要があつたものとはたやすく断定できないところである。

(二)  申請人ら解雇の個別的理由

会社が本件人員整理に関する団体交渉において昭和三六年一一月八日第一組合に対し示した指名解雇基準が、会社主張のものと同一のものであることは前記のとおりである。

しかして、被申請人は各職場の人員構成等を考慮のうえ右指名解雇基準に基いて本件解雇をしたもので、申請人らに対する指名解雇の理由は別紙指名解雇理由記載のとおりである旨を主張し、証人垣内弘、同藤原二郎丸の各供述によれば、会社は昭和三七年一一月五日から副社長、船電主任、陸電主任との間で被解雇者の選定をなしたことが疎明せられる。しかし、会社が本件解雇当時その指名解雇理由を明示しなかつたことは、申請人本人岡田捷弘、同河合泰昌の各供述により疎明せられるところであり(本件訴訟において、被申請人がその主張する指名解雇理由を明らかにしたのは、昭和三七年五月一二日付準備書面であつた。)、このこと自体会社が確固たる根拠のもとに本件解雇をしたものかどうか疑わしく、被申請人の主張或いは全疎明を以てしても申請人らが全従業員中先ず解雇せられるべき者であるとするに足りず換言すれば被申請人が本件訴訟において主張する解雇理由が、本件解雇の決定的原因であつたとは到底認めがたい。

三  以上のとおりであるから、会社が昭和三六年一一月一一日および一三日の両日にわたり申請人らに対してなした同年一二月一五日限り解雇する旨の意思表示は、解雇権らん用の点を判断するまでもなく、労働組合法第七条第一号該当の不当労働行為として無効である。

第三解雇の承認の有無

被申請人主張の解雇の承認の有無について判断する。

申請人大山、同高橋、同岡田が、それぞれ被申請人主張の日時に、会社が本件解雇当時供託していた各自の退職金を受領したことは当事者間に争いがない。しかし、右受領の時期はいずれも本件仮処分申請後のことであり、右申請人三名が解雇の効力を争つているときに受領したものであるから、単に退職金を受領したというだけでは、いまだ右申請人らが各自に対する解雇の承認をしたものとはいい難い。

第四保全の必要性

一、地位保全の必要性

申請人らのような賃金労働者が会社の従業員たる地位を有するにもかかわらず、無効の解雇によつていわれなく従業員としての地位を否認されることは、仮に収入杜絶による生活危難という点を度外視しても、そのことにより労働者たる申請人らの受ける有形無形の不利益、苦痛が甚大であることは容易に推認し得るから、申請人らの地位保全をはかる本件仮処分をなす必要性はあるものといわなければならない。

二、賃金仮払の必要性

申請人らが会社から支払を受けていた日給額の三〇日分がそれぞれ別紙目録(一)(二)記載のとおりであることおよび給料の支払期日が毎月五日限りであつたことは被申請人の明らかに争わないところであるから、申請人らは会社に対し前記予告解雇期限の翌日である昭和三六年一二月一六日から毎月五日限り各自の日給額の割合による給料の支払を請求し得るものであるが、以下申請人らの賃金仮払の必要性について検討する。

(一)  成立に争いない疎乙第二四号証の一ないし五、同第三二号証(河合泰昌の供述部分)および申請人本人河合泰昌の供述によれば、次の事実が疎明せられる。

(1) 申請人景守、同内田、同池本、同杉本について

右申請人四名は、本件解雇当時から現在まで大阪市所在の東亜外業株式会社に短期臨時電装工として勤務しているが、昭和三六年一二月から翌三七年二月までの一箇月平均収入はいずれも各自の本件請求金額(一箇月当たりの金額)を上回つている(したがつて、特段の反証のない本件において、昭和三七年三月以降も同程度の収入を得ているものと推認される。)。

(2) 申請人土井、同高橋、同長畠、同朽木について

右申請人四名は、本件解雇当時から同年八月下旬まで前記東亜外業株式会社に短期臨時電装工として勤務し、昭和三六年一二月から翌三七年二月までの一箇月平均収入はいずれも各自の本件請求金額を上回つていた(したがつて、特段の反証のない本件において、昭和三七年三月以降同年八月までも同程度の収入を得ていたものと推認される。)。

申請人土井、同長畠、同朽木は現在四国の託間造船に勤務しており、同高橋は失業中であるが、その時期、実態等については不明である。

(3) 申請人真鍋、同三道について

右申請人二名は、昭和三七年一月一〇日から同年二月二八日まで前記東亜外業株式会社に短期臨時電装工として勤務し、申請人真鍋は四万三、七八一円、同三道は三万五、〇七六円の各収入を得た。申請人真鍋は現在児島の製罐会社に勤務しており、同三道は失業中であるが、その時期、実態等については不明である。

(4) 申請人小幡、同井上について

右申請人二名は、本件解雇当時から昭和三七年八月下旬まで大阪市所在の大光電気工事株式会社に勤務し、昭和三六年一二月から翌三七年二月までの平均収入は、申請人小幡において本件請求金額の約八割、同井上において本件請求金額を上回つていた(したがつて、特段の反証のない本件において、昭和三七年三月以降同年八月までも同程度の収入を得ていたものと推認される。)。右両名とも現在四国の託間造船に勤務しているが、その時期、実態等については不明である。

(5) 申請人福田、同大山、同岡田、同斎藤について

申請人福田は玉野市所在の玉野樹脂工業所に勤務していたことがあるが、現在同市所在の青果市場に勤務している。申請人大山は同市所在の大平印刷に勤務していたことがあるが、現在大阪方面で日雇をしたりしている。申請人岡田は大阪へ行つたり帰つたりして日雇などもしている。申請人斎藤は昭和三七年七月ごろから前記青果市場に勤務している。その実態等についてはいずれも不明である。

また次の事実は当事者間に争いがない。

(6) 申請人河合、同木村について

右両名は本件仮処分申請事件ならびに地方労働委員会に対する救済申立事件に専従的立場で従事しており、前記就労している申請人から一定額の組合費を徴収している。

(二)  以上のとおり、申請人らのうち申請人河合、同木村以外の者は、いずれも他で就職したことがあつたり、現に就職中の者であるが、それは全く会社から解雇を理由として職場を閉ざされ収入を失つたため、生活の必要上やむを得ず臨時に他の会社に勤務したり、または日雇をしたり、あるいは遠隔の地に赴くなど多くの不利益を忍んでのことであり、現に失業中の者さえいるのである。そうして復職の認められる時は、ただちに会社に復帰するつもりでいることは、弁論の全趣旨から推認せられるところである。また申請人河合、同木村についても、同人らは他に就職したことがなく、徴収した組合費を私費に使用している疎明もないのである。

よつて、各申請人らに対する前記事情を考慮し、主文第二項掲記の限度(毎月当たりの金額について、昭和三七年一月五日履行期の分は日給額の二〇日分、その他の分はいずれも日給額の三〇日分を基準としたが、本件口頭弁論終結の日である昭和三七年一二月五日までに履行期の到来した分について、申請人景守、同内田、同池本、同杉本については賃金仮払の必要性を否定し、申請人土井、同高橋、同長畠、同朽木、同井上については昭和三七年九月六日以降の三箇月分について、申請人真鍋、同三道については前記疎明された収入額を各控除した限度で申請人小幡については同年九月五日までの二割分および翌日以降の三箇月分について、その他の申請人については、就職期間、収入等について適確な疎明がないから、全部について、いずれもその必要性を認め、かつ、その後の分については申請人ら全部に対しその必要性を認めたものである。)において被申請人に対し申請人らに賃金の仮払を命ずる必要性があるものといわなければならない。

なお被申請人は、申請人らが本件解雇当時臨時休業中であり、毎月の稼働日数は大体二五日位であるのに、一箇月当たり三〇日分の日給額一〇〇%を求めるのは失当であると主張するが申請人本人岡田捷弘、同河合泰昌の各供述によれば、申請人らが毎月少なくとも日給額五日分に相当する以上の残業手当を支給されていたことが疎明されるし、本件のように、申請人らに対する休業指示が不当労働行為の一環をなしている場合に、なお申請人らが解雇当時臨時休業中であつたため賃金の六〇%しか請求できないということは、労働基準法第二六条の趣旨から到底導き出されるものではないから、右主張を採用することはできない。

第五以上の次第であるから、申請人らの本件仮処分申請は前示の限度で理由あるものと認め、保証を立てさせないでこれを認容すべく、その余の申請は失当としてこれを却下することとし、申請費用の負担について民事訴訟法第九二条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 辻川利正 川上泉 安達敬)

(別紙)

目録

(一)

氏名

金額

氏名

金額

河合泰昌

一万七、四〇〇円

斎藤満良

一万七、七〇〇円

小幡義明

二万一、三〇〇円

高橋清一

一万九、五〇〇円

福田慧

一万三、八〇〇円

朽木正昭

一万八、六〇〇円

景守明次

二万一、〇〇〇円

大山亘

一万五、〇〇〇円

杉本章

一万三、五〇〇円

池本俊夫

二万〇、七〇〇円

土井昌隆

二万一、三〇〇円

(二)

氏名

金額

氏名

金額

真鍋一男

一万九、五〇〇円

木村武志

一万六、五〇〇円

岡田捷弘

一万七、四〇〇円

長畠豊雄

二万三、四〇〇円

三道勇

一万八、三〇〇円

井上武蔵

一万五、〇〇〇円

内田寛

一万七、四〇〇円

(別紙)

氏名

指名解雇理由

河合泰昌

大山亘

いずれも藤井工場捲線工場所属、同工場は再建計画により修理工場と合同し、人員を二分の一に減ぜられた。

当時、同工場には、男子五名、女子七名の従業員がいたが、右計画にしたがい、女子三名を整理し、また男子工員中より上記二名を整理の対象としたものである。

右二名のほか、男子は藤田正利、畑辰馬、原一夫の三名がいたが、藤田は技能、態度ともに優れた班長であり、また原は入社早々の養成工であり、整理の対象とは考えられない(女子工員四名を残したのは、女子を特に必要とするテービング等の作業があるためである。)。

残りの三名、すなわち、畑、河合、大山のうちから一名を残すとすれば、技術的にも優れ、昭和三一年四月養成工として入社し今日に至つている畑を選ぶことに万人異論のないところである。

河合は、昭和三四年四月入社し、技能、作業態度ともに畑におよばないし、大山は、同工場では、技能、態度ともにもつとも劣り、極めて不熱心、怠惰な性格で、河合にも遠くおよばない。

真鍋一男

藤井工場機械工場の班長。同人の従業中の作業態度は極めて悪く、主任、組長等の上司に対し、反抗的言動が多く、作業に関して組長等の指示にしたがわず、自分勝手な仕事をすることがしばしばであつた。しかもこれについて、組長等から注意してもきかない。

木村武志

藤井工場電機組立工場所属。同人は性格が反抗的であり、気に入らない仕事や不満のある場合など著しく感情的に激し、時には道具を投げつけるなどの乱暴をすることさえあつた。

例えば、同人の担当する仕事に注文主たる三井造船から設計変更、改造等の指示があつた場合など、いろいろ苦情を述べて、ただちに仕事に着手せず、また残業中など勝手に仕事をやめて帰ることなどもあり、作業秩序をみだすことが多かつた。

小幡義明

分工場船電部修繕船担当の班長。班長として部下を指示して仕事に当たるべき責任ある立場にありながら作業能率極端に悪く、納期を急ぐ修繕の仕事を担当しながら、予定どおり仕事を完成し得ず、他から応援を得て仕事を終ることがしばしばあつた。勤続年数、年令等その経験に比して能力が劣り、また近時職場離脱をすることが目立ち、班長としても、また一従業員としても適格を欠く者である。

高橋清一

分工場船電工。病弱であつて定期検診において要注意の指定を受けていたものであり、そのためか残業中途にして休んだりして作業上支障を来たすことがしばしばあつたものである。

二、三名の従業員の責任者的立場にありながら中途退場したりするため、他の者まで仕事を続けることができず、仕事に差支えを生じ、部下から不平を聞くことも多かつた。また三井造船担当者からも同様不平苦情を聞くこともあつた。

斎藤満良

藤井工場工務部試験係。同係には、同人と主任の三島昇がいたが、再建計画により藤井工場においては、電機完成品の仕事は全くなくなり、したがつて同係はほとんど不要となり、これを廃止した。

主任の三島は、勤続年数も古く、かつ修理の仕事も出来るので、修理係として残し、わずかにある修繕品の試験を担当させることとしたものである。しかし、修繕品の試験の仕事は、従前の試験係の仕事量の一〇%にもたりない程度の仕事である。

斎藤は、昭和三五年五月入社以来、試験係をしており、他の職種の経験はなく、また配置転換の余地もない。

岡田捷弘

藤井工場機械組立工場所属。同工場は、再建計画により人員を約二分の一に減ぜられ残余を整理することとなつた。同人は作業能力、作業態度、勤怠状況等、いずれも中位の成績のものであつたが、一年位前から作業態度がよくなく、残業をしないで帰るなど勝手な行動もあり、怠慢が目立つていた。

井上武蔵

難波克己とともに、分工場設計係として、修繕船図面調整の仕事を担当していたもの。

昭和三六年八月ごろから、三井造船において修繕船の図面調製の仕事を外注しないことに決まり、したがつて、会社としては、その作業がなくなり、ただ技術修得のため三井造船電気設計課において、同課の仕事を無償でしていた。昭和三六年九月四日発表した一三名の人員整理に難波を含ませたのは、この趣旨であり井上は当時技術習得中途のため、同人のためを思い、習得を続けさせていたものである。

今回のような人員整理は、これらのものが整理の対象として指名せられるのは当然のことである。

土井昌隆

藤井工場電機組立工場所属。同人が就業時間中自己の職場を離れて他の職場を歩き回り、その従業員に話しかけ雑談する等の行為の多いことは特に目立つており、他の従業員間周知のことである。

従業員間に「社長」という異名のあつたことが、このことを如実に証明している。上司、同僚等が仕事のため同人を探すなどのこともしばしばで、主任、組長等から注意しても改めない。

景守明次

池本俊夫

景守は、藤井工場結線職場に所属していたが、病後のため計器係に転じていたもの。池本は、結線職場所属。

再建計画により、同工場では電気機械の完成品の製造の仕事はなく、ほとんど部品製作、修理のみとなつたため、同職場は全く不要のものとなり、従前五名いた従業員中三名は退職し、この二名が残つていたものである。

池本は班長であるが、就業時間中の職場離脱が多く他の従業員と雑談することもしばしばであり、上司から注意しても改まらない。

景守は、肺結核で一年六カ月位も入院加療していたものであり、昭和三六年六月ごろから出勤していたが病後のため計器係の仕事をさせていたものである。再建後、計器の仕事も全くない状態である。いずれにしろ、右両名は、所属職場の廃止により当然整理となつたものであり、その作業態度、病気等のため配置転換の余地もない。

朽木正昭

藤井工場回転電機課修理工場勤務。病弱で、昭和三五年六月ごろから肺結核で入院加療し、翌三六年七月初めごろ退院して出勤したが、修理工場の作業は繁閑多く、かつ不規則で、時に徹夜残業等もあり、病後の者には適当でないと考え、比較的軽労働に属する電機組立工場結線班の仕事に回していたものである。

再建計画により完成品の受注製造がなくなつたため結線班は不要となり、当時同班の従業員は五名であつたが、うち一名は前記景守で計器係に回つており、残り四名に朽木を加えて五名で仕事をしていたが、その後三名は任意退職し、朽木、池本の両名が残つたものである。

朽木については、本来の所属職場である修理工場自体が整理を必要とし、かつ現在の職場である結線の廃止により解雇やむを得ないものとなつたのである。

長畠豊雄

藤井工場修理工場の組長。組長として、作業段取り、統率力、指導力等なく、その能力は年数、経験に比して著しく劣るものである。また労働意欲がなく努力もしない。

その反面、三井造船内で仕事に従事する場合など係技師等の指示にしたがわず、間違つたことをして指摘せられ、訂正を指示されても、徒らに反抗的態度を示して指示どおりにしないことなどがあり、係技師から会社に対し、苦情を云われ、副社長が謝罪したこともある。

同人は三井造船をやめて入社したものであるが、社長、副社長から頼んで入社してもらつたものではない。

内田寛

藤井工場事務管理課勤務。同課へ配置を換える前は、同工場捲線工場にいたものであるが、他の者に比べて甚だしく非能率であり、仕事ができないし、またよく仕事を休み、かつ残業等もしないことが多く、これらについて組長、工場長からしばしば注意したが改まらなかつたものである。

同人が商業学校の出身者であるので、事務系統の方が適しているのではないかと考えて、昭和三六年九月一日から管理課へ配置を換え、安全、原価計算等の仕事を担当させていたが、再建計画により同課を廃止し、事務所全体で人員を約三分の一に減じ、従来同課に属していた三名のうち二名は任意退職し、同人のみが残つていたものである。

福田慧

藤井工場機械工場勤務。就業時間中によく機械を離れて他の職場へ行き、他の従業員に話しかけることが多く、しばしば組長から注意したことがあつたが改めず、却つて組長に反抗的、脅迫的行動をなしたこともある。

作業態度は不熱心で、かつ怠惰であり、よく居眠りをするようなことがあり、そのため作業量が甚だしく減じ、予定どおりの仕事ができない。能力がないというのでなく、怠慢による非能率者であり、当然整理されなければならないものである。

三道勇

分工場船電部勤務。生来的に協調性のない性格であつて、共同作業が多い職場である関係上不適格者である。二、三名の部下をつれて仕事をしていても、作業の指示もせず、また仕事のうえで間違つたことをしていても報告せず、放つておくというようなことのため、組長、班長からいつても非常に扱いにくい存在である。また残業予定がありながら黙つて帰るというようなこともあり、責任観念もない。

ハイミックス線の結線は、何ら同人の特技ではない。

杉本章

分工場船電部勤務。技術的にも劣つており、そのうえ作業態度に極端なむらがある。やるときには仕事をするが、やらないとなるといくら急ぐ時でも全くやろうとしないというようなことがしばしばであり、上司の者が注意しても一向に改まらない。しかも仕事について、責任観念が薄く、仕事のしやすいところをやつて、難しいところを残しておくようなこともあり、運転等のとき発見せられるということもあつた。

(別紙)

賃金表

氏名

昭和三六年一一月手取り額

一二月手取り額

昭和三七年一月手取り額

二月手取り額

土井昌隆

三万一、三八八円

二万七、〇七八円

二万一、一四五円

三万五、六三一円

高橋清一

二万九、六〇七

二万一、三〇〇

三万六、一一〇

二万〇、二六〇

景守明次

三万〇、六四五

二万七、〇七八

二万二、六三〇

三万六、七八二

内田寛

二万七、四九七

二万七、〇七八

一万一、七〇〇

一万五、五〇〇

長畠豊雄

二万八、四三八

二万七、〇七八

二万一、一四五

三万四、二〇七

朽木正昭

一万九、八五九

二万七、〇七八

一万一、七〇〇

二万〇、五〇〇

池本俊夫

二万〇、〇七三

二万七、〇七八

二万三、二三八

三万六、四八二

杉本章

三万二、一〇三

二万七、〇七八

一万八、四四九

三万六、四七八

真鍋一男

一万五、〇〇〇

二万八、七八一

三道勇

二万一、九五六

一万三、一二〇

小幡義明

三万〇、〇〇〇

二万二、九四八

一万一、七〇〇

一万六、五〇〇

井上武蔵

二万一、三二〇

二万一、二一〇

一万一、七〇〇

二万一、五〇〇

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